真珠湾攻撃を防御するために使われた戦闘機が、攻撃からちょうど一年後に空中に出現。しかしパイロットは乗っていなかった!

カーチス P-40 (上の画像参照)は第二次世界大戦期のアメリカ陸軍の戦闘機です。この戦闘機は真珠湾攻撃(ハワイ時間1941年12月7日)を防御するために使われました。

真珠湾攻撃が起きてからちょうど一年後の1942年12月8日、アメリカ軍のレーダーが未確認の航空機を感知しました。その航空機は日本の方角からアメリカに向かって飛行していました。日本軍から再び攻撃されることを憂慮した米軍は、この航空機を調査するために、二機の戦闘機を送り出しました。

調査のために送り出されたパイロットは、問題の航空機が P-40 であることを報告しました。P-40 機は真珠湾攻撃以降、使われていませんでした。

P-40 機の側面にはいくつかの弾痕があり、着陸装置は使用不可能な状態になっていました。コックピットの中では血まみれのパイロットが前方につんのめっていました。

調査のために送り出されたパイロットの報告によると、P-40 機内にいた血まみれのパイロットは立ち上がり、手を振ったと言います。しかし、次の瞬間、P-40 機は急降下していきました。そして同機は地上に墜落しました。

専門家が航空機の残骸を調査したところ、パイロットは見つからなかったと言います。機内に残された日誌には、その P-40 機がミンダナオ島(フィリピンでルソン島に次いで2番目に大きい島)から飛んできたと記されていました。

P-40 機のパイロットは真珠湾攻撃によってミンダナオ島に強制着陸したのでしょうか? だとしたら、どうして一年もの間、自国に連絡することもなく島で生活し、ちょうど一年後にアメリカへの帰還を試みたのでしょう? なぜパイロットは出たばかりの血に覆われていたのでしょう? 墜落後、パイロットはどこに行ってしまったのでしょう……?

今日なお、これらの謎には答えが出されていません。

開運の護符作成 かなえや

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