birds by guzin-guzin

これはあるアメリカの男性の体験談です。

子供のころ記憶に焼きついた美しい教会。大人に成長してから思い出の地を訪ねたら……

僕が幼児だったころ、幼稚園の近くに巨大な教会が建っていたことを鮮明に覚えています。幼稚園の敷地から鐘楼の内部を部分的に見ることができたのですが、その光景が非常に美しかったので魅了されました。そこには凝った装飾が施されており、絵画も飾られていました。

鐘が鳴らされるたびに、鳥の群れが一斉に鐘楼から飛び立ちました。そのため僕は「鳥の教会」と呼んでいました。頭はこのことでいっぱいになり、鐘楼の内部がどうなっているのかを想像してお絵描きに励みました。鳥が休むための小屋や水飲み場があるに違いないなどと想像して、何枚も絵を描いたものです。

ある雪が降った午後、母につれられて幼稚園から自宅に帰る途中で、教会の屋根に雪が積もっていたことをありありと覚えています。そんな中、鐘が鳴らされ、すべての雪が崩れて下の地面に落ちました。僕は両手を上げて「かっこいい!」と大声を上げ、母が笑いました。

それから30年が経ったある日、休みを利用して教会を訪れてみることにしました。幼稚園の近くにあることが分かっていたので、とりあえずグーグルマップで検索したのですが、教会は出てきません。そこでストリートビューで実際の風景を見てみようと思ったのですが、見当たりませんでした。そこは空き地ですらなく、一般の住居があるだけ。さらに奇妙なことに、それらの家々は築100年を超えていたのです。

そこで現場に足を運んで自分の眼で確かめようと思ったのですが、そこには教会のかけらもありませんでした!

母に尋ねたら、何のことを言っているのかさっぱり分からないと首をかしげました。教会の屋根から雪が崩れ落ちたことや、鐘楼から鳥の群れが飛び立ったことなどを少しも覚えていなかったのです。母は僕が描いた教会の絵をすべてとってあったのですが、なぜ鳥や教会の絵ばかり描くのか解せないと疑問に思っていたというのです!

なぜ僕は存在しない教会を鮮明に覚えているのでしょう……?


続いて日本の方の体験談をご紹介します。

天井裏の記憶

小学校にあがる前だったと思います。

祖母の家に行って、階段のところに行くと、階段の下の方の天井に物置(棚のようなもの)がありました。そこにハシゴが何かで上ると、天井裏への扉があって、天井裏に部屋がありました。

そこは、蜘蛛の巣だらけなんだけど、色々ガラクタがあってドキドキしました。ひんやりしてて気持ちよかった覚えがありました。

小学校に上がって、祖母の家に引っ越したのですが、天井上につながる扉などなく、そこは物置のままでした。

あれはなんだったのだろう。

出典:子供の頃の変な記憶 その6

・私もおかしな記憶があります。まだ未就園児の頃、両親と一緒に車に乗って、幾度となく某所まで赴き、著名な人の講演会に行ったのですが、最近になって、そんなことはあり得ないことに気付きました。

でも記憶は物凄くリアルに覚えていて、上等で古めかしいカーテンの感触、調度品、扉の重厚感、窓、一緒に参加していた群衆、そして壇上で講演をしていた人の表情や空気感など、ずっと私は今の今まで未就園児だった頃の記憶だと思っていました。

しかし講演をされていた人は、実は私が生まれる4年前に他界していたことを知り、嘘だと驚きました。生まれる前に他界していた人の講演会に両親と参加するなんて、どう考えても時系列に合わず、どのように説明して良いのか混乱してしまうのですが、それでも私は講演者の表情や声を覚えているし、あれは紛れもなく現実でした。

みんとさん(2019年7月16日)

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