住む場所との縁は、もしかすると自分が選ぶようで違うのかも、という夢のシンクロの話

空を飛ぶ夢と、明治・大正時代の夢……二つの夢が40年の歳月を経てシンクロ!

これは日本のCさんの体験談です。

夢の話なのでずっと誰にも話さないできたことです。

私の場合、今の居場所に辿り着くまでの伏線が、昔見た夢にありましたので、お読み頂ければ幸いです。

夢その①

最初の夢は、25〜26歳くらいに見た夢です。

知らない土地を地上から2mくらい上を飛びながら見て回っていました。

少し高台になっている知らない住宅街でした。

角にポストがある、いい雰囲気の喫茶店がある、まっすぐな道が高台から下に続いているなどを、体外離脱のように飛びながら探索しているのです。

ぐるぐる回っていて、ふとここはどこなんだろうと思った途端に、ロータリーのある駅まで飛んでいて「鎌倉」とありました。

場所がわかると、今度はすごく高いところをすごい勢いで、当時住んでいた東京郊外の自分のところにビューンとひとっ飛びで戻ってきました。

目が覚めて、当時は行ったことのない鎌倉がなぜ出てきたのか、そして非常にリアルだったので、鎌倉の住宅街を飛び回って見た風景がしっかり記憶に残りました。

私は北海道出身ですので、鎌倉には縁もゆかりもありませんから、どうして鎌倉の夢を見たのかが不思議でした。

夢その②

次の夢は、40代だったと思うのですが、夢を見ながら現実に泣いているという夢です。(ちなみに今は62才)

夢を見ながら涙することは、亡くなった祖父が出てきた時と、この夢の2回だけです。

夢の中で、見知らぬ老女が出てきました。とても品のいい上品な人で着物を着てました。

その人の人生の一部を、私は夢の中でその人に重なるような、その人の中に入るような感じで、一緒に追体験するという夢でした。

老女はいつのまにか16歳くらいの若い少女になっていて、たぶんその年齢くらいが、彼女にとって一番幸せな時だったことが分かりました。

着物を着ていて、時代は明治か大正?かなり大きな旅館のお嬢様で、たくさんの人が働いていました。

男性も女性も、その少女のことを可愛がっていて、お正月には男性陣が餅つきをしたり、みんなで賑やかに、楽しく過ごして働いていたのが伝わってきます。

でもそれは過ぎ去った日々で、それを愛しんで懐かしむ、そのご婦人(少女)の気持ちが痛いほど伝わってくるのです。私は夢の中で泣きながら目の前に繰り広げられる光景を見ていました。

目が覚めて、実際に自分が泣いていることにびっくり。しかも見知らぬ人の人生を,その人と一緒に追体験して泣いているのですから、なんて不思議な夢だろうと思いました。

この女性がその当時生きているのか、亡くなっているのかはわかりませんでしたが、なんとなく亡くなっているのかなぁと思いました。もしくは自分の過去生?とも思いました。そう思ってしまうほど、感じる感情がリアルでした。

そしてその夢から10年後の現実世界。

東京郊外から一度北海道に戻り、その後、知人の会社を手伝うことになり、また東京に住むことになりました。

勤めて1年後、会社が神奈川県藤沢に移転することが決まりました。

それに伴い、通勤に便利なところに引っ越すことにしました。

最初は会社の近い藤沢で家探しをしたのですが、なかなか良いところがなく、調べてみると,藤沢と鎌倉は江ノ電の始発と終点ということがわかりました。

昔見た夢があったので、鎌倉に住むことを考えてみる気になり、不動産屋さんへ。

すると報国寺近所に,新築のメゾネット物件があり、下見をすると悪くないので、そこに決めることにしました。

入居手続きの書類に必要事項を記載し,いざ身分証明の免許証を渡そうとしたら、免許証を入れていた財布がない!

Suicaで移動していたので、その日はまだ財布を出しておらず、忘れてきたことにその時初めて気づきました。

後日、身分証明用の免許証のコピーをファックスすることにし、その日は帰りました。

次の日、たまたま鎌倉出身の知人と会い、報国寺に住むことを話すと、
「あそこは道が大渋滞するから、やめた方がいい」と言うのです。
朝の通勤も帰りも時間がすごくかかるとのことを聞き、不動産屋にお断りの連絡をし、別の物件を探すことにしました。

ところが鎌倉ではなかなか決まらず、再度藤沢で探すも無く、途方に暮れていた時、そういえばずっと募集広告の出ている物件が長谷にあったことを思い出し、外観だけでも見てから帰ろうという気持ちになり、行ってみたところ何だか良さげではありませんか。

早々に不動産屋に電話をしてみると、そこは鎌倉管轄だからこちらに連絡をとのことでしたので、言われたところに連絡をしてみると,なんと報国寺でお世話になった同じ不動産屋さんでした。

以前記入した書類がすべて揃っているので、身分証明書を送り、すぐに手配してもらうことができ、しかも内覧をしてみると理想的な物件で、なぜ半年以上も借り手が付かず空いていたのか不思議なくらいでした。

この物件はすんなりと事が運び、自分は鎌倉に住むことになったのです。

住むことになったのは、古い蔵がある大きな敷地にあるマンションです。

住んで次の年、Google mapを見ていたら、その蔵がいつのまにか市の重要建築物になっていました。住み始めの時は違ったのです。

それが「旧旅館跡蔵」となっているのです。

そこで初めて、自分が住んでいる場所に、昔、大きな高級旅館があったことを知りました。

調べてみると、とんでもない規模の高級旅館で、当時の宿泊者には福沢諭吉、原敬、島津忠重、伊藤博文、南方熊楠など、錚々たる顔ぶれが宿泊するような旅館でした。

でも関東大震災の時、長谷に大火事が起こったのは、その旅館の厨房からの火が原因だからだということになり、旅館の当主さんはずいぶんと肩身の狭い想いをされたようで、その事を機に、当主一族は地域との交流を断っていったそうです。

その後、鎌倉の観光に大きな役割を果たしていたその高級旅館のことは、歴史の舞台に出ることは一切ありませんでした。

それが、自分が引っ越してきて1年後くらいに、ある大学教授が、その旅館が鎌倉の観光発展に大きく寄与していたことをクローズアップして論文を書いたのです。

それをきっかけに鎌倉市は、その旅館の蔵を重要建築物に指定したようです。

この旅館のことを知り、もしかしたら昔、涙を流した夢に出てきたのは、この旅館だったのかもと思ってしまいました。

そして私の大家さんは、旅館の当主さんの後裔です。

体外離脱して見てきた住宅街ですが、

住んで3年くらい経った時、友人の車で、おしゃれなカフェに行こうということになり、鎌倉山を走っていたら、

20 代の時に夢で見た角のポスト、喫茶店のような店、そして下まで延びるようなまっすぐな道・・・

同じ景色があったのです。

40年も前に夢で見たのは、40年前の風景ではなく、未来(要するその日)の風景だった??

でもあの時自分が飛んでいたのは、鎌倉山だったのだとわかりました。(だから高台だったのですね)

どうしてこんなに鎌倉に夢でシンクロがあるのかはわかりませんが、ここでの生活はおかげ様でとても居心地が良いです。