

2008年11月下旬、中国考古学会理事であり、「広西チワン族自治区博物館」の元館長でもある蒋廷瑜さんは、中央電視台(中国の国営テレビ局)の二人の記者とともに、同遺跡を訪れました。訪問の目的は墓の発掘を視察し、ドキュメンタリー番組を撮影することでした。
蒋廷瑜さんの話によると、石棺の底部の土を取り除く作業を進めていたところ、棺の内部から石のかけらが落ちて地面に当たり、金属音を発したといいます。それを拾い上げて土を取り除いたところ、ミニチュアの腕時計のようなものが現れました。
その時計は外部が銅製で、針は10時6分を指しており、側面には竜頭(りゅうず)がついていました。裏の泥をぬぐったら、そこには「瑞士(スイス)」という二文字がはっきりと刻まれていました。しかし、明の時代にスイスという名の国家は存在しませんでした。

これは一体何なのでしょう? 副葬品と仮定しても、現地には金属でミニチュア品を作る習慣がありません。それにも増して不思議なのは時代が合わないことです。世界で初めて腕時計が作られたのは1790年とされています。この年、ジュネーブの時計商ジャケ・ドロー&ルショーのカタログに腕時計が記載されました。また、スイス製腕時計が中国に伝わったのは数十年前とされています。
この品は約100年前に作られたとみられています。なぜそれが400年前の石棺内にあったのかは、いまだに解明されていません。