これは日本のMPさんの体験談です。大変興味深いお話をありがとうございました! 上の画像は樺太・豊原市のものです。

2013年に札幌のバーで知り合った青年は、自分が3日前まで樺太の豊原市に住んでいたと語った!

2013年に札幌のバーで知り合った男性の話しです。彼は3.11で被災し、釜石から札幌に移住したそうです。でも実際には釜石に居たのは3日間だけで、それまで暮らしていたのは樺太の豊原(注参照)だと言うのです。

注:豊原市(とよはらし)は、日本の領有下において樺太(南樺太)に存在した唯一の市。市街地は、札幌市と同様、駅を中心とした「碁盤の目」状の都市計画によって建設されていた。1946年(昭和21年)2月2日にソビエトは南サハリン州を設置して自国による領有を宣言、同年6月に豊原はユジノサハリンスクに改称された。

彼が言うには震災の3日前に釜石で意識不明で病院に搬送され、翌日に両親が病院にやって来たそうです。両親は確かに両親だったそうなのですが、父親は彼が中学3年生の時に自動車事故で亡くなっていたということで、元気な父親を見てとても驚いたそうです。

そして震災が発生。彼は病院で被災し、数日後に母親と再会。父親は行方不明になってしまったそうです。その後、退院して母親の実家のある札幌に移住したそうです。

彼が言うには、父親が亡くなるまでは札幌で家族と暮らしていたそうですが、父親が起こした交通事故で多額の借金を背負い、豊原の木工所で母親と一緒に働きははじめたそうです。しかし、給料は安く休日もないような日々でとても辛い暮らしだったそうです。

そして、樺太と北海道は日本ではなくソビエト連邦構成共和国の〇〇ボストークという共和国だそうです。すいません〇〇部分は覚えてませんw

彼の年齢は私と会っていた当時は1986年生まれの27歳ということでしたが、彼が中学生から母親と豊原で過ごした期間は5年ちょっとだったということで、4年くらい時間がずれていると言っていました。彼の豊原での最後の記憶は働いていた木工所の火事の記憶だそうです。そういえば、彼の見た目は27歳と言うには少し幼い感じがしました。

彼は異世界から来たのでしょうか? 彼とは知り合ってから3ヶ月くらいの間にバーで5、6回会っただけでしたが、その3ヶ月くらいの間にバーに行くと必ず会っていました。バーのマスターもどちらかが先に来るともう一方が必ず来るので、ちょっとだけ気持ち悪がっていました。

しかし、彼はそれからぱったりと店に来なくなり、私もマスターも忘れていたのですが、今年マスターがバーを閉めることになり、彼のことを思い出して書き込んでしまいました。もし、これを読んで自分のことだと思い当たる方がいらっしゃれば、また一緒に飲みたいです。


追記

いかがでしたか? 並行世界が実在することを実感させられるスゴいお話ですね? ところで、青年が住んでいた世界では、北海道と樺太がソ連領だったとのこと。これらの地域が政治的にどんな状況だったのかがよく分からなかったので、MPさんに質問したところ、詳しい情報を送ってくださいました。下記のとおりです。

1. ロシアではなくソ連にいた
2. 旧日本地域は独立国家ではなかった
3. 北海道では暴動が多く発生していたが樺太は落ち着いていた
4. 日本に密航する人はたくさんいた
5. 彼の話しで熱が入っていたのは、木工所で朝鮮人にいじめられていた話しだった

さらに、マスターの方からも情報を入手してくださいましたので、以下に共有いたします。

1. 彼はロシア語を話していた
2. 樺太島にはロシア人と朝鮮人がたくさんいた
3. 北海道には樺太島と満州から来た日本人がたくさんいた
4. 道路はメイン以外は未舗装路ばかり
5. テレビやラジオは全て国営放送でテレビチャンネルは4つ
6. 北海道の一部では日本のテレビが視聴できた
7. 北海道のどこかに核ミサイルがたくさん配備されていると言う噂があった
8. 兵役義務があったが、シベリアや中東に連れて行かれて帰ってこない者も多かった
9. 函館は海軍基地があり、津軽海峡には機雷海域もあったので漁業はできない
10. こちらに来てからの彼は建築現場で足場を組み立てる仕事をしていた

MPさん談:「マスターが一番不思議に思っていたのは、彼が先か私が先かの違いはあったものの、どちらかが来た日にはもう1人も必ず来るということだったそうです。ですので、私と彼が本当は知り合いで、こっそり示し合わせて来ていたのではないかと思ったことがあったそうです。と言うのも、彼が私のことを知っているような気がする、もしくは知っているかもしれないというようなことをマスターに言ったことがあるそうです。私は彼のことは全然知らない人と認識していたのですが。」

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МP様の話、信じます。数話をここのサイトに寄稿しているT.A.という者です。追記を読んで、信憑性を更に高めました。今の日本では、誰も知り得ない(かつネット検索などでは絶対に入手不可能な)サハリン事情が列挙されているからです。それに、私が誰にも話していない『木材工場』の事まで書かれていますよ。

私(T.A.)は、会社からの依頼で「サハリン(旧樺太)訪問団」の随行員(スタッフの1名)をやった事があります。1996年の夏、その時の話です。訪問団(約80名)の目的は、「戦前(1945年以前)から居る残留日本人達への慰問と交流」だったと思います。日本からの随行通訳はいません。訪問団を受け入れる残留日本人会の人達は、日常会話がロシア語なので、通訳は不要と判断された為です。ただし、念の為に州都ユジノサハリンスク(旧豊原)市には、日本語が堪能なロシア人通訳(男女2名)が待機していました。

さてトラブルは、この訪問団(80名位)を現地コルサコフ港で残留日本人(代表の約20名位)が迎えた直後から始まります。私(T.A.)以外の全ての日本人同士の間で、言葉が通じていないのです。つまりお互いの日本語で、会話が成立しないのです。仕方なく、私(T.A.)が日日(日本語から日本語への)通訳をします。こんな感じです。

(残留組40代)「樺太の(旧日本人街の)第一印象は、いかがでしょうか?」
(訪問団30代)「なんか不思議。タイムスリップした感じです」
この訪問団の日本語をT.A.が現地日本語へ翻訳します
(T.A.) 「奇妙な感じで、別の時代に来たみたいです」
つまり、残留日本人(サハリン生れ)は若い年代でも、戦前(1945年以前)の日本語に近い言葉を使うのです。英語由来の外来語は通じません。

次です。現地日本語の中に、大量の朝鮮語が紛れ込んでいました。
(残留組50代)「ウリユジノは、いつ入るのですか?」
(訪問団40代)「・・・・?」
T.A.が残留組日本語を翻訳します
(T.A.)「私達のユジノサハリンスク(旧豊原)市へは、いつ来られるのですか?」

現地日本語の中に、もっとも多く紛れ込むのは、ロシア語。
(残留組60代)「マラコーもありますよ」
その場で、T.A.がダイレクトに訳します。
(T.A.)「牛乳(ミルク)もありますよ」

等々、これは最も簡単な翻訳(通訳)例です。(1)現代日本語、(2)戦前日本語、(3)朝鮮語、(4)ロシア語、の4言語が理解できる人物が現地におらず、偶々(たまたま)いた私(T.A.)が80名分の通訳を担当し続けました。あの(1996年の)夏は、本業と副業を同時にやりながら(でも給料は同じ)、睡眠時間を削られ、不味いロシア料理と蚊の大群の中で過ごす事になったのです。

ちなみにロシア人通訳(男女2名)の日本語も、戦前日本語体で、かつ敬語があべこべでした。例えば「今日、私の母が来ます」と言うべき所を、韓国語の様に
(ロシア人通訳)「本日は、私のお母様がいらっしゃります」等と、話します
そして人前で水を飲む場合ですが、真横を向いてから、口元を手で覆(おお)って、ゴクゴクではなく、ゆっくりと一口ずつ噛みしめるような作法(さほう)で飲む。この変な習慣の理由は、大学の日本語課教授が全て残留朝鮮人によって占められている為ですが…、あまりに酷かったので、時間が許す限り、正しい日本語と習慣を教示しました。それ以後、そのロシア人通訳2名は私の後をいつも付け回していました。

そうこうしている内に、私(T.A.)は現地でやや有名人になり、サハリン州副知事のご自宅(と言っても、アパートでした)に招かれたりします。その期間(1996年夏)に私が知った事です。

(並行世界ではなく)今あるこの世界のサハリンですが、人口比が、(1位)ロシア人、(2位)朝鮮人、(3位)他の旧ソ連圏の人、残留日本人は僅か。で、朝鮮人が異様にいばっていて、残留日本人を常に卑下(ひげ)している様に感じたのです。実際に、20代後半の朝鮮人が同年代の日本人をどついている所を見ました。2人の会話は、ロシア語交じりの朝鮮語。どつかれている方は片言の朝鮮語。でも内容から日本人だと分かります。ちなみに、道路はメイン以外、ほぼ未舗装路でした。

これらは現地に深く入り込んだ私だから感じた事で、単なる旅行や短期駐在勤務では知り得ないサハリン事情だと思います。МP様やマスターは、この事を追記で示しました。他の件も、北海道が1945年以後GHQの指揮下に無ければ、充分にそうなりえるでしょう。それらが理由で、МP様の話が真実だと私は認めます。

で、私が教えなかった『木材工場』の件です。副知事と会った時、「何かサハリンが(経済的に)発展できる良い案はないか?日本人ならば、どうする」と訊かれたのです。その時は、とっさで答えられず「今度、(サハリンへ)来た時にお教えします」と言い逃(のが)れしたような気がします。←よく覚えていない。

サハリン島は、広大な面積の大半が原生林。ただ寒冷地の樹木は硬く、なかなか伐(き)れません。熱帯雨林と違い、簡単には伐採できないのです。なので、土地を開墾するのも大変。土地自体は平坦(へいたん)なのに、工場用地の準備もままならないのです。天然資源の掘削は、(1996年当時)すでに始まっていました。それ以外で「サハリンが発展できる産業」を見つけなければなりません。となれば漁業以外には、農業と林業しかありません。土地は痩せていますし、寒冷地です。林業は無理だろう…樹が育つのに、年数が掛かりすぎる…と思ったのですが、『木材工場』を作れば、これがサハリンの主要産業になると、閃(ひらめ)きました。林業は無理でも、『木材工場』を建てれば、良質の木材料を世界中に輸出できることに気がついたのです。植林は不要で、250年分以上のストックがサハリンには有るのです。

帰国した1996年秋に、私(T.A.)はこれに気づき「今度、サハリンに行った時に州副知事へ教えてあげよう」と思っていました。ただし、まだサハリンへは戻っていません。ずっと、私の脳内メモリーへ収納されたままでした。

皆様、白樺(しらかば)と言う樹は御存知ですよね。幹の表面が白くて、空に向かって真っすぐに伸び、寒冷地にしか育ちません。サハリン島の原生林は、岳樺(ダケカンバ)も混ざっていますが、大半が白樺(しらかば)の巨木です。幹の直径は30cm以上あります。サハリンへ本州から渡った日本人達は皆、白樺の太さに驚きます。その「太い樺(かば)の木(き)」に因(ちな)んで、「樺太(かばふと)の地」やがて「樺太(カラフト)の地」と名付けられた程です。

木造家に住み続けてきた日本の民は、「硬くて真っすぐで太い木材」の価値を熟知しています。本文のМPさんが言うような、パラレル世界のサハリンに多くの日本人が住んでいるのならば、必ずサハリンの原生林から伐り出した巨木白樺に目をつけます。そっちの世界で『木材工場』を運営しているのは、日本人の筈。母親が北海道から、日本人の伝手(つて)をたどってサハリンに渡って働くなら、ここではないでしょうか。本文の中では『木工所』と書かれていますが、私が考えていた『木材工場』の事だと思います。

すみません。勝手に興奮して、こんなにも長文のコメントを書いてしまいました。私が行ったサハリンは、パラレル世界ではありませんが、現状と照らし合わせても、МPさんやマスターの供述と辻褄(つじつま)が合います。全ての話を信じます。

T.A.さん(2021年10月19日)

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