守護天使の訪問

若き日の母親を訪ねる夢を見た青年。当時母親はメキシコの貧民街に住んでいた……

これはメキシコ系アメリカ人の男性、Gさんの体験談です。

僕の両親はメキシコ出身で、1995年に米国に移住しました。僕は 1998 年に生を受けました。これは僕が経験したできごとの中で最も奇妙なものです。僕は就寝中にあまり夢を見る方ではありませんが、夢を見るときはたいてい非常に明晰で記憶に残る夢を見ます。

ある夜、そういう明晰な夢を見ました。この夢の中で、母はとても粗末な古い家に一人でいて、父の帰りを待っていました。腕には生まれたばかりの姉が抱えられていました。外は真っ暗。母は心配しながら父の帰宅を玄関で待っていました。家はワンルーム構造で、4、5本のろうそくだけが部屋を照らしていました。

僕は母を安心させるために「すべてうまくいくから心配しないで」と語りかけました。すると母は突然僕を見て、「私が一人でいる間一緒にいてくれてありがとう。守ってくれてありがとう」と言いました。次の瞬間、目を覚ましました。変な夢だと思ったが、シャワーを浴びて仕事に行った後は特に気にならなかった。

 

それから3日が経過しました。金曜日の夜、自宅の前庭で両親とともに、たき火を囲んで座り、話をしていました。そんな中、両親が昔話を始めました。メキシコに住んでいたとき、母が父の自転車のタイヤをとがったもので刺し、わざとパンクさせたというのです。

なぜそんなことをしたのかと尋ねると、両親の説明はこうでした。1991年に僕の姉が生まれたとき、両親はメキシコの小さな町の貧民街にある古い掘っ立て小屋に 1 年ほど住んでいたのです。当時、夜になると父は自転車で友達と飲みに出かけ、翌朝まで家に帰らないのが常でした。それで、母は自転車のタイヤをパンクさせて、父が飲みに行けないようにしたのです。

両親は「エル・カレホン・デ・ラ・ジョローナ」(泣く女の路地)と名づけられた路地に住んでいたので、小さな家に一人でいるのが怖かったのです。「泣く女」とはメキシコの都市伝説。この話はメキシコの各地域、さらには米国の一部でも語られています。行方不明になった我が子を探して泣きながら徘徊する女の幽霊に関する話なんです。幽霊にちなんで名付けられた路地に住むのは恐ろしいことに違いありません。

母は話を続けました。「あの家に独りぼっちでいるのは本当に怖かった。お父さんの帰りを祈りながら待っていたの。」

すると父は冗談交じりにこう言いました。「守護天使が守ってくれていたのだから俺が家にいなくてもよかっただろう?」

この時点で、3日前に見た夢とこの話がつながり、「あー、なんてこった」と思いました。そこで母に「もっと詳しい話を聞かせて」と頼むと、こんな話を聞かせてくれました。「ある夜、見知らぬ男性が壁の中から現われて私を訪ねてきたの。その人のそばにいると安心感と親しみを感じたわ。彼は座って『すべてうまくいくから大丈夫』と安心させてくれた。そして壁の中に消えていったの。この後、心が本当に落ち着き、独りでいることが怖くなくなったの。」

これには本当にビックリしました。前にも言ったように、僕は 1998 年生まれで、夢を見るまでこの話をまったく知らなかったのです。これが単なる偶然なのか、もっと複雑なことが起こっているのか、僕には分かりません。