ドイツの新聞社に勤める2人の男が取材のために地元の造船所を訪れた。そこで体験したできごとは2人の人生を大きく塗り変えることになった!
時は1932年。ドイツ人のJ・バーナード・ハットンと写真家のヨアヒム・ブラントは地元の新聞社に勤めていた。
取材のためハンブルクの造船所に送られた2人は、どういうわけか、恐ろしく不可解なできごとの真っ只中に置かれることになった。
ハットンが取材を終え、ブラントが写真を何枚か撮った後、2人が造船所の出口ゲートに向かって歩いていたところ、頭上で何か音が聞こえた。
それは聞き慣れた航空機の飛行音だった。ハットンとブラントが空を見上げると、1機や2機の飛行機ではなく、これまで見たことのないイギリス空軍の爆撃機の大艦隊が見えた。
それからほんの数秒後、戦闘機から爆弾が降り注がれ、周囲で大爆発が起きた。造船所のゲートに向かって疾走する中、ブラントは爆撃の模様を素早く連写した。
ハットンとブラントは地獄のような空襲からなんとか逃れ、すぐに新聞社に戻った。2人は同僚と編集長に何が起こったのかを話したのだが、信じる者は誰一人としていなかった。
ブラントの写真には何も写っていなかった。編集長が造船所に電話したところ、事実が明らかになった。造船所への爆撃はなく、その地域でイギリス空軍機は一機も発見されなかったという。あらゆる意味で平穏な一日だったのだ。ハットンとブラントは即座に解雇された。
その後、写真家・ヨアヒム・ブラントの身に何が起こったのかは不明だが、J・バーナード・ハットンはロンドンに移住した。1943年7月25日月曜日、ハットンは新聞の大見出しと、一面にでかでかと印刷された写真に衝撃を受けた。
それはイギリス空軍によるハンブルクへの大規模攻撃に関する記事であった。記事に添えられた写真は、ハットンとブラントが 1932 年に見た光景とまったく同じだった。
ブラントとハットンは未来へのタイムスリップを経験したのだろうか? あるいは2人そろって鮮明な未来予知をしたのだろうか? この疑問に対する答えは不明のままだ。
「ゴモラ作戦」と呼ばれるこのハンブルク爆撃を、戦争犯罪だとみなす人もいる。この爆撃は摂氏1000度に達する火災嵐を引き起こし、4万人の命を奪った。