このできごとが起きたとき、アーサー・フルインはアイルランドの若い大学生で劇作家だった。ある年、彼はアイルランド南東海岸のダンガーバン港の最南端にあるヘルヴィック岬で復活祭の休暇を過ごすことにした。
海岸沿いを散歩していると、天候が悪化。アーサーは最寄りの村まで歩いていくことにした。寒くて霧が立ち込め、どんどん暗くなっていく中、人の気配は遠くに見える光だけ。村にたどり着いたころにはすっかり夜のとばりが下り、霧は晴れていた。なんとか光を追っていくと、桟橋に停泊していた小さな漁船から灯りがもれていることが判明。
アーサーは船に近づき、ハッチが開いているのを見てゆっくりと中を覗いた。船内では老人がテーブルの上に漁網を置いて作業中だった。夜もとっぷりと更け、寒かったので、漁船に泊めてもらえないかと尋ねると、老人は手招きして彼を迎え入れた。
老人は冷えた体が温まるようにポテトスープの入ったボウルをテーブルに置いた。軽食をとった後、老人はアーサーを船室に案内した。部屋に入ったアーサーは姉に貸してもらった赤いスカーフを脱ぎ、ドアの後ろのフックに掛けた。
ベッドに横たわったが、落ち着かず、なかなか眠りにつけない。訳もなく強い不安に襲われたのだ。そのとき、老人が自分の部屋に向かって通路を歩いてくる音が聞こえた。アーサーは本能的にドアのボルトを閉め、老人が入ってこれないようにした。
最初、ドアの取っ手が静かに動くのが見えたが、数秒後には激しく動き始めた。老人はドアの外で大声をあげ、部屋に入れろと要求した。
恐怖に駆られたアーサーは、自分の命が危険にさらされていることを悟り、必死に逃げ道を探した。天窓を見上げ、なんとかよじ登って、デッキに通じる窓ガラスを叩き割り、安全な場所に避難したのだった。
アーサーは腰を下ろし、夜明けをひたすら待った。やがて村がゆっくりと活気を取り戻してきた。村人の一人が、傷だらけでみすぼらしい青年の姿に気づき、声をかけてくれたので、アーサーは悪夢のようなできごとを語った。
話を聞いた村人は、アーサーとともに、恐ろしい体験をした桟橋へと向かった。ところが漁船はもぬけの殻で、修理も行き届いておらず、ほとんど難破船状態だった。材木は劣化し、ぬるぬるしており、ネズミがテーブルの周りを走り回っていた。昨晩ポテトスープを飲んだテーブルが一晩のうちにひどく劣化していたので、アーサーは自分の目を疑った。しかし、同じ漁船であることに疑いはなかった。
その後、村人が語った話は、アーサーをさらなる恐怖に陥れた。50年前、桟橋を歩いていた大学生が漁船に避難し、年配の漁師に殺されたという。老人は若者の殺人で有罪となり、絞首刑に処された。その日から漁船は放置されたままだという。村人たちは船に乗ることを恐れていたのだ。
昨夜自分に起こったことと、今聞いた話の間に類似点があることに震撼したアーサーは、真相を突き止めるために、勇気を出してあの部屋に行ってみることにした。ドアを押し開けて中に入ると、ドアの後ろのフックに掛かっていたのは……自分の赤いスカーフだった。