これはアメリカの女性・キャスリーンさんの体験談です。
このできごとは1999年1月に起こりました。当時私は、7カ月だった娘のアデルとともに、ニューヨーク市・クイーンズ区のアストリアに住んでいました。
新婚生活を送っていたころ、私たちにはお金があまりありませんでした。夫が働いている間、地下のアパートの一室で寂しい時を過ごさなければなりませんでした。それでも私たちには美しい娘・アデルがいました。ただ、娘はおとなしい性格からほど遠い子だったんです。
アデルはぐずりやすい子でした。コリック(赤ちゃんがミルクを飲んだ後に起こす腹痛)を患っていたので、よく泣きました。いったん泣きだしたら、どんなにあやしても簡単に泣きやみませんでした。娘を喜ばせるために、いろいろな遊びを考えたのですが、それだけで一日をもたせることはできませんでした。
あれは風が激しく吹く1月の午後のことでした。娘を乳母車に乗せて散歩に出かけることにしました。空は曇っていましたが、娘の気を紛らすために外出することにしたんです。
目抜き通りを歩いていたら、娘はすぐに不満の声をもらし始めました。通りの左側を歩いていることが気に入らなかったのです。そこで道を横切り、右側に行きました。そちらの側には屋外市場があったのですが、そこを過ぎた後はレンガ造りのアパートが延々と続くばかり。そのアパートは高層ビルだったので通りへの光がさえぎられていました。それでも娘は不思議とむずかりませんでした。
静かな一時を楽しみながら通りの終わりまで歩いていきました。アパートからそこまでは距離にして2キロメートルほど。通りの終わりで右折したら、そこにはレンガ造りの壁が延々と続いていました。壁に沿って歩いていくことに。
通りの真ん中あたりまで歩いていったら、壁に小さな金属製の扉があるのが目にとまりました。その扉には貼り付け式の文字で「玩具倉庫」と記されていました。
扉を開けたら、そこには広大な部屋があり、金属製の棚にたくさんのおもちゃが所狭しと並べられていました。これほど大きなおもちゃ屋はついぞ見たことがありません。娘のお気に入りのテレビ番組に関する人形はすべてそろっており、低めのテーブルにはミニキッチンから、箱に入れられた遊具に至るまで、ありとあらゆるものがそろっていました。娘は大喜びでした。
部屋の片側に低めのカウンターが設置してあり、そこに年配の男性が座っていました。最初の通路をゆっくりと進んでいったら、男性が声をかけてくれました。
「いらっしゃい。どうぞご覧ください。娘さんのお気に入りが見つかるかもしれませんよ。」
通路の真ん中あたりまで来た時、娘は歓声を上げました。メリーゴーランドを見つけたのです。その直径はディナー用の大皿くらいで、馬は装飾されており、最上部にはつまみがついていました。娘がつまみを回したら、楽しい音楽に乗せて馬が回り始めました。
そのおもちゃをとりあげ、ひっくり返して、値段を見ようとしました。こんなにステキなおもちゃはいくらぐらいするのでしょう? 驚いたことに、値札には6.99ドル(約千円)と記されていました。何かの間違いだと思ったのですが、ともかくそのおもちゃをカウンターまで持っていって、財布の中を覗きました。10ドル札(その週に使える唯一のお金でした)を差し出し、おつりをもらいました。
男性は優しい微笑みを浮かべながらこう言いました。「お気に入りが見つかったようですね。じゃあね! よい一日を。」
乳母車を押して外に。家に着くまでの道すがら、娘はつまみを回して馬が回転する様を見ながら、喜びの声を上げていました。すっかりおもちゃに魅せられていたんです。
家に着いた後、娘はカーペットに座ってメリーゴーランドで遊びにふけりました。笑い声を聞きながら夕食を作りました。いつも泣いたり叫んだりする娘はもうそこにはいませんでした。まるで休暇旅行に出かけたような気持ちでした。そのおもちゃが手に入って以来、娘は生まれ変わったように幸せな子になりました。まるで奇跡のようでした。帰宅した夫は、そんなにも美しいおもちゃが安価で手に入ったことに驚きを隠せませんでした。
それから何週間が経ち、気候が穏やかになったころ、例のおもちゃ屋にもう一度行ってみることにしました。娘を乳母車に乗せて、長い道のりを歩いていきました。道の終わりにさしかかったところで右折。そこからずっと歩いていったのですが、扉を見つけることはできませんでした。扉が取り外されレンガでふさがれたような跡もありませんでした。おもちゃ屋は影も形もなかったのです。
レンガの壁に沿って、二度、行ったり来たりしてみたのですが、扉も、店も、年配の男性も見つかりませんでした。私はいまだに「なぜあのできごとが起こったのだろう」という疑問を心から拭うことができません。でも、感謝の念はずっと抱き続けています。
ありがとう、良いお話です。