100万円の中古本(前編)

これは日本のT.A.さんの体験談です。

≪ 100万円の中古本 ≫

今日は、2020年7月23日。タイムリーな話題なので、もう東京都知事選挙は終わりましたが、投稿する事にします。T.A.です。内容的には、拙稿「タイムトラベル記」シリーズの後年版みたいなもの。

先日、別稿の利用者コメント欄へも記したのですが、私は小学校の低学年時からずっと、「意識だけのタイムトラベルの可能性」について考えていました。潜在意識下での研究テーマでもあったのですが、それが2008年に退行催眠した際、本当に起こったのです。それ以降、時間を見つけては「タイムリープ(意識のタイムトラベル)」実験の試行錯誤を繰り返していました。数年前から、やっと別時間の自分の身体の中へタイムトラベルが(時々ですが)出来るようになりました。「高額な退行催眠術」や「特殊な装置」等を使わずに、です。

どうやるのかと言えば、まず軽い催眠状態になるように(自分で)意識を調整します。私は、この自己催眠法を教則本で勉強しました。ネットにも情報があふれていますから、貴方はこれを独学でやっても構いません。それから、頭の中(左右両大脳と偏桃体)を、ある状態にまで持って行きます。 1つずつでは駄目で、3つの脳を同時に活性化させます・・・それだけ。

やり方の詳細をもし記せば、説明が複雑繁多になり、本日の話題に入れません。今日は、これ以上書きません。後日、別稿を設けます。さて、こんな実験を試行している内に、私が退行催眠で子供時代へ時間移行した時(2008年)と同じ感覚が得られ始めました。だいたい数分間(数秒の時もあります)、別の時間(高校生時代が多い)の自分に意識だけがとぶのです。

ただし、本当にタイムリープしているのかの確証が得られません。拙稿「タイムトラベル記」シリーズに記したような明らかな証拠が無いのです。じゃあ、何か証拠を残してくれば良いのではないか・・・う~ん。でも、過去を改竄(かいざん)すれば、現在に悪い影響が出る恐れがあるしなぁ~。

映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」では、タイムトラベルを金儲けに使ってはいけないと啓蒙しています。だから、私はしたくない。私は、しない。してはいけない、と思う。が、頭の中で想像する位は、許されるであろう。

空想(1) 現在で「宝くじ」の当選番号を全て暗記してから、過去に戻る・・・でも、この方法だと、その当選番号のくじを探して、全国の宝くじ販売所を行脚(あんぎゃ)しないといけない。現実的ではないし、非効率だ。

空想(2) 「宝くじ」でもロト式ならば、どうだろうか。2桁の数字を6個か7個暗記するだけだ。これ位なら覚えられる・・・でも、ロトの当選番号は毎週違う。”未来が見える少年”こと”S.H.君”は秒単位の時間指定で意識をとばせた。でも私のタイムリープでは、時間指定ができない。それに、もし仮に当選番号の週に戻れたとしても、わずか数分間では(数秒間の場合もあるのに)、くじ売場まで行く時間がない。あわせて、私は籤運(くじうん)が、とても悪い。だから、これも止める事にした。

空想(3) 現在、高騰している金(ゴールド)を、最安値の時期に大量購入するのはどうだろうか・・・実は、平成7年(1gが1000円ちょっと)と平成11年(1gが920円位、たまたま最安値期)に自分の全財産(つまり預貯金と現金)を、すべて”金の延べ板(延べ棒じゃないよ) “に交換していた。翌年も現金が溜まると、せっせと”延べ板(500g)”に交換した。なので、私はいつも現金的に貧乏だった。今さら当時にタイムリープしても、金(きん)を購入するお金(かね)は残ってないわな。

余談だが、平成7年に私は全財産を”金の延べ板”に交換した後で、家族親族友人知人達へ、必死になって金(きん)を買わせようとしていた。現物ゴールドの購入方法は当時、誰も知らなかったので、私が(店まで同伴して)丁寧に教えた。無料奉仕だ。先ず、(1枚ごとに)約50万円を現金で用意させてから、販売店まで連れて行き、交換所で必ず「現物(ゴールド)」を受け取らせた。純金はとても重いので落としたり、盗まれたりする事を心配して、帰りも購入者達の家まで一緒について行った。

なお購入した人達からは、後日すこし感謝された。大半の人々は購入せず、私に対する否定的な陰口(つまり「あいつは金融詐欺師的な…」)を広めていた。そして友人知人の多くが私から離れて行った。この案(ゴールドの大量購入)は却下ではなく、既に実行済みという事になる。

空想(4) 株で儲ける・・・これが、最も安易に考えられる金儲けの手段だと思う。実は、私は個人で株式をそこそこ保有している。ただし、これらは仕事関係の必要上、持っているだけで、売却不可だ。それ以外で、株の売買をした事はない。私の世代は、今と違って、株で儲ける事に良いイメージを持っていないのだ。仲間内で「あいつは株に手を出している」と言われただけで、仕事上の信用が無くなる世代だ。タイムリープして昔に戻っても、(私の)気質までは変えられない。値上がり株が分かっていても、買わないと思う。

空想(5) 先日の東京都知事選挙の頃だ。ネットで、「オークションや中古品ショップで、百万円の値をつけている単行本」の記事を見つけた。それは、現東京都知事の小池百合子氏が、まだ無名時代に出版した『振り袖、ピラミッドを登る』という本だった。カイロ大学を首席で卒業した初の日本人女性(小池百合子氏ご本人)が、在学中の思い出を書きあらわした私記だ。

次のタイムリープ実験では、これをやってみたくなった。近くの本屋へ行って、本を1冊買うだけなので、簡単だ。その本を、現代(2020年)まで捨てないで自宅に置いておけばよい。残ってさえいれば、本の保管状態なども、とやかく言われないであろう。単行本1冊の購入で、私が今いるこのタイムラインを改竄(かいざん)するとは思えない。もしあったとしても、その相違は小さい筈だ。そもそも、これは金儲けの為にするのではない。タイムリープ実験の検証の為なのだから、正々堂々とやってよいのだ・・・等と自分勝手に思い込みはじめた。

続けて、脳内シミュレーションもやってみた。
(案1) 家から最寄りのA書店まで、徒歩で9分位。早足で行けば、7分だ。本を買う時間はある。
(案2) もっと良い案を見つけた。家からA書店までは自転車で3分、そこで売ってなければ、その近くのB書店を覗いてみる余裕さえある。これが良いかも知れない。
その時、閃(ひらめ)きがあった。
(案3) 最初から、書店内に居る私の身体にタイムリープすれば良いのだ。1分間で任務は完了する。

私の『タイムリープのやり方』(後日、ここのサイトに投稿予定)は、時間指定が上手く出来ません。しかし、場所指定は正確に出来ます。もちろん、どこへでも行ける訳ではありませんよ。自分が過去に居たか、行った場所だけです。しかし、逆に言えば、その場所に居た過去の時期が特定できれば、それを利用して時期の指定もできるのです。1982年頃にいつも屯(たむろ)していた場所を移動先に指定すれば、自(おの)ずと1982年にタイムリープします。

最終的に、この第3案に決めました。検証実験のタイムリープを先ず1回行い、失敗しても成功しても、ここの『時間旅行』のサイトへ結果報告する事にしました。

文章で書くと長いですが、実際はネットで「100万円の中古本」記事をみつけてから、この決定まで5分間も経っていません。

この種の単行本ならば、当時は500円位。もし100万円で売却できれば、投資額の2000倍のリターンが得られる。いくら現金的に貧乏だったと言っても、私のポケットに500円位は入っています。

ポケットマネーの硬貨が100万円の札束に・・・、「おっ、いけね。これは投資じゃない、検証実験だった」と、自分を諫(いさ)めている時に「そうだ。あの本は、500円じゃない。もっともっと高かった筈だ…買うのが嫌になる位に」と別の気持ちが、湧き上がってきた。

「あれれ?!」、変な記憶が出てきました。もちろん、まだ今月のタイムリープ実験は開始していません。ここまでが、2020年7月の話です。以下に、1982年頃(たぶん)のある思い出を書きます。

≪ 1982年頃、私が20代後半 ≫

1982年頃と記しましたが、正確な年月日は覚えていません。そもそもアレが、不思議体験だとは思ってなかったのです、先日(都知事選挙の頃)までは。では、始めます。

週2-3回のペースで当時、私は「本屋のハシゴ」をしていました。若い方は、「本屋のハシゴ」をご存知ないでしょう。説明します。インターネットが無い時代、情報は(1)新聞、(2)ラジオ・テレビ、(3)本・雑誌から得ていました。テレビ・ラジオ・新聞は誰の家にもありました。そこで得られなかった情報(あるいは、得られにくい情報)を得る為に、何軒かの本屋を歩き回って雑誌や書物を立ち読みする事を、言います。もちろん購入しても構いません。

私の場合は、家(当時の実家)の周囲に書店が無かったので、最寄駅(徒歩9~10分)へ行きました。駅の周囲に3軒の本屋があった為です。仮に、これらをA書店、B書店、C書店とします。まず、A書店で本と雑誌を立ち読みし、次にB書店へ移動して同じことをします。最後に、C書店にしか置いていない専門雑誌と本を立ち読みし終われば、その日の「ハシゴ」は完了です。

どうして、3つも書店を「ハシゴ」するのか気になるかも知れません。あの当時は、書店ごとに取り扱っている本や雑誌が違ったのです。A書店にしか置いていない本と週刊誌、B書店しか取り扱わない月刊誌など等、店によって異なるのです。3書店を全部廻っても置いていない書籍もあります。そういう時は、取り寄せてもらいます。でも、その本は自腹で購入しなければなりません。

さて、こんな「本屋のハシゴ」をしていたある日、いつものように最寄駅の傍にある書店の1つに入って行きました。立ち読みをする為です。全て実話ですよ。店内に入り、レジの前を通り過ぎ、単行本コーナーの棚に手を伸ばして、背表紙を確認してから本を1冊取り出します。もう嬉しくてたまりません。欲しくて欲しくてたまらなかった本を見つけたからです。実物を初めて手にしたのですが、想像していたものより、やや小さく感じました(この時ですが、わずかですが「やったぞ」と言う達成感もありました)。で、次の瞬間ですが、我に返りました。「何をしているんだ、俺は」と思いながら、手に取った本を、たった今取り出した棚の隙間に…つまり、1分前と書棚が全く同じ状態になるように…すばやく戻しました。そして、”何も見ていないよ”、”1文字も、立ち読みしていないよ”的な雰囲気を作りながら店の奥へ移動していきました。おそらく、レジに立っていた店員は、私が棚から単行本を取り出すところを見ていた筈です。買うつもりはないのに、変な誤解をさせたかも知れない、と私は杞憂(きゆう)していました。

で、私は移動しながら、「いったいぜんたい、今のは何?」、「何が起こったのだろう?」。いつもは(店員と目を合わせたくないので、本を買わない日は)レジの前を歩かないのに、今日は正々堂々とレジの前を歩いた。まるで、別人になった様な感じでした。これが、「憑依(ひょうい)」とか言う現象なのだろうか、等と考えながら、店奥の月刊誌コーナーへ向かいます。で、立ち読みを開始したのだけど、たった今起こった変てこな現象が気になり、集中できません。その内に「さっきの単行本を買って帰りたい」と言う気持ちが、心の中に湧いてきました。しかし、「あり得ない事だ。あんな本は買いたくない」と私自身は思っています。そもそも何の本なのかも、分かっていないのです。確かめるつもりもありません…確かめる為には、レジの横の棚に戻らなければなりません。そうすれば、店員に「この人、きっと買うだろうな」と誤解されるからです。

「もう、あの本の事は考えない!」と自分に命令しながら、月刊誌の立ち読みを続けようとしたのですが、「あの単行本を買いたい」の気持ちがどんどん強くなってきます。理性と感情が、私の中で戦っていました。その内に「他の人が、先に買ってしまうかも知れない。早く、購入しないと!」の恐れの感覚も加わります。それからお腹が…たぶん臍(へそ)のちょっと下側が…ムズムズしてきました〔注1〕。

注1:お腹のムズムズ感は、「こんな本は買わない」と思えば思うほど、強まりました。最終的には、痒(かゆ)みを通り越して、痛みに変わりました。その痛みに耐えながら、単行本の中身を確認し「買ってもいいかな」と思うと、痛みが弱まりました。でも、ムズムズ感は続きます。そして本を購入した瞬間に、お腹の感覚は、完全に消えました。
変な表現ですが・・・あの時あの本を買わせる為に、私をコントロールしていた何者かが、お腹の中に居た様に思えます。

我慢できない位に下腹部の内側が痛痒(いたがゆ)くなってきました。「どうせ400円か500円だ、買っても良いかな」と思い始めます。理性が、感情に負けてしまったようです。

とりあえず、さっきのレジ横の棚に戻って(店員には注視されるだろうけど)、あれが何の本なのか調べる事にしました…この書店で今日の予定だった”月刊誌の立ち読み”は中止。

店員と目を合わせないようにしながら、単行本のコーナーへ戻り、さっきの本を手にします。同じような本が、何十冊も並んでいるのに迷わず、すぐに見つけられた。不思議。表紙は、スフィンクスとピラミッドを背景にした、女性の写真でした。美人でも不美人でもない。私のタイプではありませんが、この女性はテレビで見たこと有る様な無い様な・・・後日、本の解説を読んで知ったのですが、「竹村健一の世相講談」というテレビ番組にアシスタント役で出演していた小池ユリ子女史でした。

振り袖、ピラミッドを登る ペーパーバック – 1982/10/1

最初のページは、カイロ大学/入学初日のエピソード。アラビア語(と言ってもカタカナ表記)交じりの日本語文で読みやすかった。初めてみる文体(ぶんたい:文章のスタイル)だ。表紙に出ている彼女の写真からは全く知性を感じられないのに(ゴメンナサイ、小池さん)、読みすすめると首席卒業の才覚(さいかく)が文章内の各所に輝いている。

少しだけ読んでも、面白い。レジの傍、つまり店員の目の前で、単行本の熟読を始めました。もう購入するつもりになっていたので、後ろめたさは有りません。最初の項目(数ページ)を読み終えました。残りはパラパラと飛ばし読みですが、巻末の著者紹介まで一気に目を通します。そして最後に、本の値段を見ました。

「あり得ない!高すぎる。異常な値段だ」と思いました…それがいくらだったのか迄は、記憶にありません。今(2020年7月)、本の裏表紙を見たら、定価は980円になっていました…まあ、とにかく「高くて、異常な値段だ」と感じた事だけは確かです。

当時この類の単行本は、400円か450円か500円でした。単行本の値段は、活字の大きさ、ページ数、内容によって異なります。専門的な内容になれば、もっと高くなり、600円、650円、700円もありました。小さな活字びっしりの翻訳本ならば、1000円台もあり得ました。

でも、たんなる留学体験記の様な単行本に、この値段(980円)はあり得ません。もうひとつの疑念は、80円の端数がついていた事。これは単行本の値段設定には使われない端数(金額)です。週刊誌の定価、と言うよりは日用雑貨品コーナーの値札に思えたのです〔注2〕。

注2:あの単行本は当時、あまり売れていませんでした。それどころか、初めて会った人には小池女史が無料で配っていたと、後で知りました。名刺代わりですね。なので、この本の定価は有名無実。ご本人は、どんな値段設定でも良かったのでしょう。

購入を躊躇(ためら)いたくなるような値段設定でしたが、意を決して買う事にしました。私は言語おたく(趣味が外国語の勉強)だったので、これはアラビア語を習得する際の副読本だと思い込む事にしたのです。事実、多くのページに(カタカナ表記の)アラビア語文章とその対訳日本語が載っていました。語学教材の専門書だと思えば、高くはないです。で、購入。

その日、”本屋のハシゴ”は中止。店を出てから、すぐに自宅へ向かいました。次の書店に行かなかった理由は、他店で買った新本を、別の書店に持ち込むと万引きを疑われる恐れがあるからですが、本当は、せっかく購入した本を、落としたり盗まれたりする事を心配したのです。すでに、とんでもなく高額な物…それこそ、100万円の札束…の様に感じていました。

帰宅途中も、変な葛藤(かっとう)が続いていました。理性的に「こんな高い本を買ってしまった」と後悔しているのに、感情的には「とても嬉しくて」喜んでいました。そして、家に戻り、自分の部屋の本棚の片隅に、その本を置いた瞬間、ほっとした気持ち…あるいは任務が完了したような気持ち…になって、続いていた心の葛藤は消えました。

以上です。この日は、これでおしまい。文章に記すと長いですが、最寄駅近くの書店で、小池女史の単行本を手に取ってから、家に戻るまでの約30分間の出来事です。

この後の話を少しします。当時、私は単行本を完全に読み終えると、10冊か15冊ずつを紐(ひも)でしばって、まとめていました。で、それは年末の大掃除の際に、ゴミとしてそのまま処分します。しかし、小池女史の本だけは、捨てられませんでした。

この数年後、私は実家を離れ1人暮らしを始めます。その引越し日に、書棚の本を大量に処分しました。この類の単行本や月刊誌などは、ほぼ全て捨てました。ですが1冊だけなぜか「これは捨ててはいけない」と思う単行本があり、保管用段ボール箱へ他の貴重品といっしょに詰めました。そんなこんなで、あの時の単行本は、今も残っています。証拠の写真をこの原稿と一緒に投稿します。表題と一緒に、ご覧になって下さい。私がお気に入りのミニ・ビアジョッキとのツー・ショットです。

なお、購入した単行本の書名ですが、この章には書かれていません。それは、わざと書かなかった訳ではなく、思い出せなかったのです。記憶から完全に消えていました。そりゃ、そうでしょう。今から38年も昔に(それも衝動的に)買った本のタイトルなんて、誰だって覚えていないと思いますよ。


今日は、2020年11月23日。T.A.です。この体験談を書いてから、4ヶ月が過ぎました。先々週です。家内が掲載された上の『前編』を読んでいる途中で、「そう言えば…」と私に不思議な事を話し始めました。学生時代(つまり結婚前)の思い出話です。今回のタイムリープ記と関係があるかどうかは、分かりません。聞いた話をそのまま、書きます。検証は、文末に記します。私の家内が、…

… 大学1年生の時です(日本では、ありません)。放課後、ドームメイト(同寮生)の女子生徒達と学外の探索に出かけました。なお大学自体は共学ですが、寮は男女別。入学してから数週間なので、まだ男子の知り合いがいません。それで、女子だけで街(まち)へ繰り出したのです。その時にロト売場の前で、(同寮生の)知り合いの叔父さんに出会います。その男性は、ロトの愛好家で毎回、大量のくじを買っている(と、後で知ります)。その日も、購入するロト申込用紙のマークシートにチェックを入れている最中でした。彼女達に気づいた叔父さんは、ロトくじの事を説明しながら「好きな数字を教えてくれ」と言ったのです。皆は、適当に答えていたそうですが、家内だけは「私が今から言う数字を買ってみて」と全ての組み合わせ番号を教えました。それなのに、その叔父さんは「この番号だけは、良くない」と1つだけ数字を変えてしまいました。この日は、それだけ。

数日後、ドームメイトから「あの叔父さんのロトが当たったので、御礼がしたい」と伝えられます。そして市内で一番の高級レストランへ、あの時の女子生徒達全員が招待されます。主賓は、もちろん(大学1年生だった)家内です。「好きな物を注文してくれ、どんなに高くても良い」と言われたそうです。さらに「次の(ロトの)組み合わせ番号も教えてくれ。貴女を信じる。今度は絶対に、数字を変えないから」と・・・どういう事だったのかと言うと、家内が教えた番号が、その回の当選番号だったのです。しかし叔父さんは、自分で1つだけ数字を変えてしまいました。その為に、前後賞(日本円換算で820万円)になってしまったのです。さぞ悔しかったでしょう。その後ですが、やはり何度も「番号を教えて欲しい」と懇願されたそうです。でも、教えていません。分からなかったからです。

その後は、卒業式の当日まで同級生や見知らぬ同窓生からも、しつこく当選番号を訊かれたそうです。教えていません。大親友の数人に訊かれた時は断れなかったので、適当な数字を伝えました。全部、ハズレだった…

…と言う話を、私(T.A.)は先々週に聞かされたのです。これは、タイムリープ現象でしょうか。今の家内は、(右大脳の活性化が上手くできない為)タイムリープが出来ないけれど、将来は出来るようになるのかも知れない。さらにはギャンブル(賭け事)嫌いな家内が、もし過去に戻っても、(本人の気質は変わらない為)ロトくじを買わない筈だ。だからこそ、当選番号を他人に伝えたのだ。

そう考えた私(T.A.)は、検証を始めます。で、家内を質問攻めにしました。

(1)当選番号を覚えてる? … 覚えていない。あんな昔の事を、覚えている訳ないでしょ。
(2)当選番号を知った時の感覚は、どんなだった? 脳内の感覚は? … 好きな数字を適当に組み合わせた。自分の誕生日も入れてある。脳内に感覚なんてない。番号は紙に書いて、覚えた。
(3)どうして、自分で買わなかったの? … 買ったよ。大学に入ってから、ずっと買ってたよ。同じ「番号」で、買い続けた。「当たるまで」と思っていたけど、途中でやめた。もうやめた時に、あの叔父さんに会った。いつか「当たる」という自信もあった(予知じゃないよ、確信していた)。

と、言うような答えが返って来た。なんと。若い頃は、今と違って「賭け事」が好きだったらしい。面白がって「運だめし」も沢山やった、とか言い出した。

そんなこんなで、今の私(T.A.)は「どうも、これはタイムリープ現象じゃないな」と思っています。家内の説明に拠ると、自分で適当な数字配列を決めてから『これが当選番号になる』と強く思い続けた。当時は、『Dreams come true(夢は叶う)』が座右の銘だったらしい。ってことは、自分の思いで、「その番号が当選する」と言うReality(現実)を作り出した可能性が高い。つまり、思考が現実化したと言う事です。まだ良く分かりませんが、これは「引き寄せの術」or「信念の魔力」に近い感覚ですね。

「思いが実現する現象」に関しては、別稿(未投稿)で原理を説明します。そこでの引用例に使えそうなので事前に、今日このエピソードを投稿する事にしました。

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